朝日新聞 2009年(平成21年)10月24日 土曜日夕刊記事より beモニター(アスパラクラブ会員18,000人登録)へのアンケートを基にした結果です。
(「運」=51%・・・「努力」=49%) ・小差で「運」が上回りました。私も「運」派なので、この結果は何となく
いいなと思いました。同じ努力をしても運悪くつまずく人がいるけれど、でもその違いは、この2%くらいの差
なんですよね、きっと。(文・中島鉄郎氏)
「運」の事例→ 奇跡のお見合い結婚他
次の二つの成功をもたらしたのは、「運」だろうか?「努力」だろうか?
@→千葉県の無職男性(75歳)の例
約50年前、見合いの席へ向かう列車のなかで、可愛い女性と同席し、一目惚れした。
その日の予定の見合いでは集中できず結果は不成立。どうしても彼女が忘れられず、電車のなかの会話で聞こえてきた
名前を手掛かりに千葉県で探し続けた。その結果、偶然も手伝い、ついに役場に勤める女性を探し当てた。
だが母親がお見合いを申し込んだところ、「まだ若いので」と相手の家に断られてしまった。傷心の男性は気を取り直して
別のお見合いの席に行った。すると、相手はくだんの一目惚れの女性だったのだ。「びっくりしました。断られたのは
同姓同名の別人で、母が写真を見てなかったんですね。夢みたいな話でした。」男性29歳と一目惚れの女性21歳でめでたく結婚。45年後の
現在、子供二人、孫4人と幸せに暮らしている。「ずいぶん探したから努力とも言えるし、でも、最初は運ですし」と男性は言う。
A→東京都の無職男性(67歳)の例
こちらは「新聞のクイズで自動車を当てた」というのだ。コンビニの広告で自動車が30台当る大型クイズがあった。「何枚でも応募可」でした。
定年で時間的な余裕もあり、ハガキを毎週50枚から100枚書き、1カ月にわたって応募し続けた。それを忘れた頃、当時では珍しいカーナビ付
の三菱の車が当たったとの知らせが届いた。「ラッキーだなとは思ったけど、努力の賜物でもあった訳です」と男性は笑う。
運と努力のバランスをどう考えるか。人生経験豊かなモニターの自由記述回答には、フランスの警句家
ラ・ロシュフコー(クリック)の「箴言集」(しんげんしゅう)を読んでいるような深みを感じた。
B→東京・男性(36歳)の例
「偶然を生かすことが出来るのが運の良い人、生かせないのが運の悪い人で、偶然を生かせるかどうかはその人の過去の経験(努力の結果)に依る。
C→長崎・女性(51歳)の例
「運が悪いと言う人は不幸そうで、運がいいと言う人は幸せそうだ。どちらが原因で結果なのかと思うことが多い。
D→新潟・男性(56歳)の例
「運」は後ろを振り向き過去を正当化する逃げ道、「努力」は前を向いて、針路をどうすれば良いのか決める羅針盤である。
運不運を人が強烈に実感する間一髪の体験も寄せられた。
1985年(昭和60年)8月の群馬・御巣鷹山での日航ジャンボ機墜落事故。
1995年(平成7年)3月のオーム真理教の地下鉄サリン事件。
E→大阪府・男性(78歳)の例 (日航ジャンボ機墜落事故)
事故便を予約していたが、仕事が早めに終わったので、一足早く着く別の便に変更し大阪の自宅へ到着すると、家族が大騒ぎをしていた。
命拾いしたのは「運命」と感じざるを得ない。
F→奈良県・パート女性(38歳)の例 (地下鉄サリン事件)
「毎朝乗る地下鉄の、いつも乗車する車両でオウム真理教がサリンを撒いた」と言う。客先へ直接向かう日で、出勤時間が遅くて助かった。
「病院に搬送された友人も何人かいた。自分の生命運と人間関係運の良さを実感した」と振り返る。
他者の痛み知る「運」
教育や宗教、犯罪など幅広く評論を行う芹沢俊介さん(67歳)は「運が上回って良かった。努力が70%や
80%だったら、少しいやな気分だった」と語った。
「運」という言葉には、「努力」には無い他者への配慮や思いやりが、最初から含まれているから。
例えば、人生の大きな局面で失敗した他人を「運が無かっただけだよ」と慰められても、「努力が足りないから」では慰めにならない。
自分の成功を、「運が良かったんです」と柔らかく説明は出来ても、「努力の成果」では少しギスギスする。
「東大生の家庭は年収950万円以上が50%以上」という統計ひとつを見ても、人の一生は自由に選択出来ない「出生」という
「運」に大きく左右されることが分かる。それなら「11年連続で年間3万人」を超える自殺者を、「自分の努力」の責任
だけに帰すことが出来る訳が無い、という想像力が「運」という言葉に包含されていると言う。
◇◇◇良運を掴む吉相印鑑◇◇◇