姓名鑑定による吉相印鑑の専門店 seimeikantei.click 宝寿堂 Welcome to トップページへ
桜

 元に戻る

★【奇跡の写真】(現代の釈尊・高橋信次先生)★

(よく見比べると同じ写真なのです)解説は下部↓↓



☆解説☆
この写真は1977年6月25日(昭和52年)東京の社会党会館で高橋信次先生一周忌 講演会の時、 高橋先生の写真がスライドでスクリーンに大きく写し出されたのを、盛岡市の佐々木秀雄氏が同じ構図を 2枚続けて撮られたものである。この写真を撮って現像に出しましたが、写真屋は、このひとコマは写りが 不明瞭なので、プリント出来ないと言ってプリントしてくれませんでしたが、その後暫らく経って、 佐々木氏はこれまで撮り溜めてきた写真を整理しておこうという気になって整理を始めたところ、整理中に ふとフィルムを見ると、信次先生の写真の真ん中に白い光の点があるのに気が付いて、例の写真屋に、 是非プリントして欲しいと頼んだのです。そして、出来上って来た写真を見て大変に驚いて、私(園頭広周) の所へ真っ先に送ってこられたのである。佐々木氏は、社会党会館で高橋信次先生一周忌講演会に於いて、 先生の写真がスライドで大きく映し出されたのを、2枚続けて写真に撮られた。その最初に撮られたのに 光が出ていたのである。この写真は高橋信次先生自らが、霊の存在を証明されたのだと思っている。  月刊誌 正法22号(1980.6月)より
☆追記☆
これは高橋信次先生の心臓あたりからの強い光なのですが、よくご覧になって頂くと先生の背後にも、 金色の後光が出ているのがよく解ります。

★高橋信次先生・現世48年のご生涯★

 ☆略歴 (1927年9月21日生まれ、1976年6月25日没:享年48歳)☆
    ☆ 科学者。
    ☆ ハードウェアエンジニア。
    ☆ 高電工業株式会社の創業者・初代社長。
    ☆ 人道科学研究所所長。
    ☆ 宗教家。
    ☆ 新宗教・宗教法人GLA 創始者。
  1927年9月21日に長野県、佐久高原の農家に10人兄弟の次男として生まれた。旧制中学(野沢北中学・現在の野沢北高等学校) を2年生(13歳)で中退し、陸軍幼年学校に進学。ついで陸軍士官学校に進学・卒業して、航空士官として出征し、 終戦の1945年に故郷である長野県に帰郷。その後上京、大学入学資格検定を受検し、主として日本大学理工学部で学ばれた。 大学在学中に事業を興すも失敗して、25歳の時に3度目に興した会社がエレクトロニクス系のハードウェアを開発する 高電工業株式会社であった。会社経営をしながら、自身もハードウェアを開発するエンジニアとして460数件の特許を持っていた外、 八起ビル管理株式会社社長、人道科学研究所所長等を兼務された。
(稲刈り耕運機、地震計測器、レナウンスポーツシャツ、トイレの無臭元も信次師の発明である。)
 10歳の頃から(1937年頃)現在で言う「幽体離脱」現象の霊的体験をするようになり、その肉体の自分とは違う霊体の自分を 「もう一人の自分」と呼び、その現象に幼心ながらも疑問を持ち、以来約32年間、電子工学や物理学を修めつつ探求を続けられた。 (ただし、宗教には興味は向かわず、本人は全くの素人だとされた) そして1968年頃から本格的な霊現象が起こるようになり、 「ワン・ツー・スリー」や「フワン・シン・フワイ・シンフォー」と名乗る霊からの通信を受け、それから間も無くして、 執着を捨てた心の安らぎのある境地に到達し、その後それらの霊魂は後のGLAの教義で言う「守護・指導霊」であったと 明かされたという。「フワン・シン・フワイ・シンフォー」と名乗った霊魂は、自らを信次師の「守護霊」であるとし、 後に歴史上のイエス・キリストその人であると知らされた。
また「ワン・ツー・スリー」と名乗った霊魂は、自らを信次師の「指導霊」であるとし、後に歴史上のモーゼその人である と知らされた。その後、彼らからの指導を受けて悟りの境地に到達した信次師は、宗教家としての道を歩み、その経験を著作 として著し始めた。
 また、人々の過去・現在・未来を見通す能力によって講演会等信次師の下に集った人々を導き、また肉体を持たない霊を霊視 (文字通り霊を目視すること)し、これと会話したり、人々に憑依している不調和な霊を取り除いたり(ただし、余程でない限り、 これらの霊に対して「神理」を説き、その非を悔い改めさせることが一般的であった)等、自身の講演会等に於いて数多くの奇跡 を残した。(高橋信次師著『心の発見 現証篇』参照)。また、古代エジプト語、ヘブライ語、5世紀の中国語、古代マガダ語 (古代インド語)等を話した。但し信次師は、これらはあくまでも人々を救う為、天上界で予め約束されていた(また証明としての) 「方便」であるとし、特に興味本位的に過度に現象に捉われる事を戒めた。これらは、モーゼの時代にも、イエス・キリスト の時代にも、ゴータマ・シッダールダー(釈迦牟尼仏)の時代にも、現れた現象(現証)だとされる。
 著書や講演会で、信次師は「慈悲」と「愛」、そしてその実現の為の実践として「八正道」と「反省」(キリスト教的には 懺悔・悔い改めに相当)を説いた。また、仏教、ユダヤ教、キリスト教は、天上界(いわゆる「あの世」の中でも 調和された世界であるとされる。また、他の惑星にも人類は住むとし、地球が属する系として「太陽系霊団」との呼称も 用いられている)の指導によって創られたものであり、その精神は、「法は自然の法則、宇宙の法則」に発するものであり、 時代の新旧によって道は変わらないと説いた。
会社経営や教団運営、信者の個人指導や著作の執筆等により、信次師の睡眠時間は一日3、4時間という生活であったともされる。 人間の肉体の限界を越えて活動すれば、聖人と言えども肉体の保持はかなわないものでしょう。  1976年6月4〜6日、東北研修会の『新復活』『太陽系の天使達』を最後の講演とし、同6月25日午前11時28分、自身の予言通り 48歳で逝去された。(生前、早くより、今回は48歳までしか計画していないと言われていた。)
追記☆
宗教(仏教・キリスト教・ユダヤ教等全て)と言うのは、亡くなった人の為では無く、今現在、生きている人々の為の 生き方の教えであると説いておられます。


 上に戻る


姓名鑑定による吉相印鑑の専門店 seimeikantei.click 宝寿堂  Welcome to  トップページへ